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オルゴールの夜

5 忘れていたこと


 残業が多い長谷部さんも、運良く定時頃に帰れることがあって、そんな日は夕食の誘いのメールが届いた。申し込まれた時のカフェは、実は食事メニューも美味しい店。
 今日あったことを話しながら大盛りのスパゲティを食べる長谷部さんは、疲れてると言いながらも元気で、なんだか可愛かった。子どもみたいで。かと思えば、篠田さんは小食すぎる、別腹なら、と言って、デザートを注文して、私が食べるのを楽しそうに見ていたり。
 一人で食べるのに慣れてしまった私には、懐かしい、楽しい時間だった。実家の食事時は、かおちゃんとお母さんのお喋りや、章ちゃんのつっこみでいつもにぎやかだった。私とお父さんはそれを聞いて笑ってる方。
 その日も、いつものカフェでデザートを食べていたら、オルゴールの小さな音が聞こえた。携帯を見ると、かおちゃんからの通話の知らせだった。近くに人がちょうどいなくて、長谷部さんを見ると、頷いてくれたので、繋いだ。
「もしもし?」
『ゆか? 今どこ? 暇? ちょっといい? 賢、今日、出張で暇でさあ』
 かおちゃんだった。声を潜めて答えた。
「今、カフェにいるの」
「カフェ? ああ、晩御飯? ごめん、ごめん、メールだったらいいよね?」
 よほど暇を持て余してるみたい。
「人といるから」
 だからだめと続けようとしたら、遮られた。
「人!? ねえ、もしかして彼氏だったりする? うわー、だったらごめんね。全然急ぐ話じゃないから、またにする」
「そう?」
「今度、彼氏のこと、聞かせなさいよ? もう、ほんと、ゆかは口固いんだから。絶対だからねっ、じゃあ、お休み、またね」
「うん、お休み」
 完全に私が彼氏と一緒にいると思ってる。かおちゃんは子どもの頃からせっかちで、あわてんぼう。誤解を解くのは大変かもしれない。携帯を仕舞って長谷部さんを見ると、何か思い詰めたような顔をしてた。
「すみません。姉からです。何かあったのならいけないから、とったんですけど」
「いいよ、そっか、お姉さんなんだ。仲いいんだね。よく電話するの? 篠田さん、兄弟は?」
 表情が緩んで、いつもの長谷部さんに戻った。最近はすっかり砕けた話し方になっていた。
「今の姉と、3つ下の弟の3人兄弟です。姉はいつもならもっと遅い時間なんですけど。長谷部さんは?」
 そう、かおちゃんは電話魔。多分、このあとか、明日か、電話がかかってくるに違いない。それを思うと少し気が滅入る。どう説明したらいいのかな。長谷部さんのこと。
「俺? 俺のところは俺と兄貴の二人。しっかり者ですごく頼りになる兄貴なんだ。四つ上なんだよ」
 長谷部さんの四つ上なら、私より一つ下。そのお兄さんも章ちゃんに似てたりして。長谷部さんがお兄さんのことを自慢にしてて、大好きなのがよくわかる表情だった。こっちも楽しくなるような。
 デザートを食べ終えて、ふと見ると、少し長谷部さんの雰囲気が変わっていた。落ち着かないような、少し落ち込んでいるような、そんな雰囲気。
「あの、そろそろ、出ましょうか」
 年の話なんかしたからなのかな。5才も年上の女と話してたんだって、あらためて実感したとか。
 もう時間も遅くなってしまってたから、私の方を向いていた伝票を手にした。
「俺が払うよ」
 慌てて、長谷部さんが立ち上がった。でも、なぜか急に、少しだけ格好をつけたくなった。年上らしく。
「いいですよ、今日は私が払います。先輩ですから」
 私、先輩だった。入社年度から言ったら7年も上の先輩で、普通ならこんなふうに二人きりで食事をする機会もあるはずなくて。
「一度、言ってみたかったんです」
 そう言ってレジへ行った。
 そう、確かに一度、言ってみたかった。女の子たちと食べに行くこともあまりなくて、誰かにおごるという場面がなかったから、言う機会がなかった。そして、長谷部さんと一緒の時は、長谷部さんが全部出したいというのを断って、割り勘にしてもらってた。
 レジで支払をしながら、軽い高揚感と楽しさを感じてた。胸の奥で少し、ちくりとしたような気もしたけど。


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