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オルゴールの夜

2 始まりの朝


 朝、いつものように長谷部さんがぎりぎりにやってきたのがフロアの少し離れたところに見えた。同期の鳥羽さんや先輩の橋川さんにからかわれるのもいつものこと。
 そんな時の長谷部さんは学生みたいに見える。といっても、卒業したのは去年の春。やっと1年が終わったところだから、無理ないかも。
 今日の仕事の予定を確かめていた時、ふと、視線を感じて、顔をあげるたら、側を通りかかった長谷部さんと目が合った。なるべくいつものような顔で挨拶をしたら、少し小さな声だったけど、普通に返してくれた。ほっとした。
 これでいいと思う。だって、昨日の今日だし、長谷部さんへの自分の気持ちもよくわからない。長谷部さんが本当につきあうつもりなのかも。だから、多分、今までと同じようにするのがいい。たまに話をする同僚として。
 「つきあう」という言葉に見合うようなことをするつもりは、なくて。なのに、申し込みを受けてしまったのは、不誠実かもしれなくて。また、堂々巡りを始めてしまいそうになるのを振り切って、仕事にとりかかった。  今までと違う日が始まったと気づいたのは、お昼休みのこと。
 いつものように、お弁当を食べていたら、携帯電話が着信を表示した。かおちゃんかなと思ったら、長谷部さんからのメールだった。
『今、お昼。外、暑いです。店から出たくないです』
 昨日、貰ったメールとは雰囲気が違ってた。仕事のことは一つも書いてなくて、まるで友達に宛てたような、でも、文末だけが少し丁寧なメール。
 まだ初夏と言うには早いのに、とても暑がっているのが少し可笑しい。でも、内勤の私と外ばかりの長谷部さんはきっと違う。仕事で緊張しながら営業先をまわってるせいか、それとも、朝とは随分日差しが強くなってきてるのかも。短いメールなのに、長谷部さんの表情が想像できた。
 長谷部さんは「学生気分がまだ抜けないのか」なんて課長から怒られるくらい、表情と喜怒哀楽がはっきりしてて、元気で。そう、そんなところが章ちゃんに似てる。章ちゃんも職場ではあんな風なのかな。想像してしまって、可笑しい。
 お弁当を食べながら考えて、返信をした。
『外回り、大変ですね。せめてお昼休みはリラックスして下さいね』
 「頑張って下さい」と書くとかわいそうな気がして、ためらわれて、なんだか妙な文面になってしまった気がするけど、えいっと勢いをつけて送信した。それから、長谷部さんのメールを読み返して、なんとなく保護をかけた。


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