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オルゴールの夜

17 別れの言葉


 金曜日の夜、残業をなんとか切り上げてから、いつものように会社から少し離れたところで待ち合わせて、一緒に店に入った。社員に見られないように、と前に私から頼んでそうしてもらってた。
 こうして一緒に歩くのもこれが最後。
 店は、いつもより混んでた。空いていたのは最初に話をした時の席だけ。カップルが楽しそうに話してる間を通って、その奥の席に座った。あの時以来だった。
 「ふう、やっと休みだあ。もっと遅くなるかと思って焦ったよ。腹減った」
 座るなり、長谷部さんはほっとした笑顔を見せた。メニューを手にしてから、ふと顔を上げて、私を見た。
「話って明日の休みのこと? あのさ、明日は出かけないで、一緒に家でのんびりしたらどうかな」
 そうできたらいいのに。忙しかった今週のことも、あの日聞いたことも忘れて、一緒に過ごせたらいいのに、それが叶わないことを私は知ってる。
 私を見つめる長谷部さんの顔が少し心配そうに見えたのは、なぜなのかな。気持ちが顔に出てるのかもしれない。このまま何も言わずにこの人の恋人でいたかった。
 でも、決めたこと。言わなければいけないこと。そう自分に言い聞かせて、少し笑顔を作ってみた。そうでもしないと、泣いてしまいそうだったから。
「もう、いいんです。これ以上、長谷部さんに迷惑をかけられません。私とのこと、忘れて下さい」
 ゆっくり言葉を選んで、告げた。メニューをめくろうとしてた長谷部さんの手が止まって、私を見つめたまま、固まった。
 さようなら。
 口にできなかった言葉を胸の中に納めて、お辞儀をした。もう他には何も言えなかった。席を立とうとした時、長谷部さんがはっとした顔になって、立ち上がった私の腕を掴んだ。
「なんで? 俺、なんかした? 忘れて、って俺と別れるってこと?」
 席を立って、私の腕を引いて座らせ、長谷部さんは私の横にしゃがんで見上げた。混乱と困惑でいっぱいの顔。私に交際を申し込んだ時よりも、辛そうに、不安そうに見えた。
「紫子、なんで? 言ってくれよ。言わなきゃわかんないよ。俺のこと……嫌いになった?」
 嫌いになれたらよかったのに。見つめられてるのが苦しくて、目を逸らした。
「火曜日、橋川さんたちが話してるのを、聞いたの」
 やっとそれだけを言えた。長谷部さんの顔色が変わって、私の腕を掴んでいた手が緩んだ。もう限界だった。何も言わず、店を出た。
 長谷部さんは追いかけてこなかった。涙を見られなかった。それだけが救いだった。


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