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オルゴールの夜

15 秘密の裏側


 目元がまだ腫れぼったかった。会社で普通にしていられる自信がなくて、初めて嘘をついて会社を休んだ。仕事が詰まっていて、迷惑をかけるのはわかってたけど。
 私の休みを知った長谷部さんのメールには、頭痛が酷いから一日寝て治しますと答えた。そのあとも何回かメールが届いた。今日も忙しいはずなのに、今にも見舞いに来そうなくらい心配してるのが伝わってくる。
 半日眠って、午後になって、やっと少しだけ落ち着いた。クッションを抱き、ベッドに寄りかかってコーヒーを飲みながら、橋川さんたちが話していたことをゆっくり思い出す。
 処女、落とす、お局、遅すぎ、ミイラとりがミイラ、続けることにした、年上の女に捕まる、橋川さんがやらせた、信じられない、磯崎さんレベル、マザコン。
 細かいところまではっきり覚えてる自分に呆れる。その時の二人の口調まではっきり。
 普段仲良さそうにしてる人のことをあんなに蔑むような言い方で言えるなんて……。今まで苦手な人としか思ってなかったけど、あれが本当の橋川さんなのかもしれない。普段、女性社員が見て、憧れてるようなのとは全然違う顔。
 鳥羽さんまで一緒になって笑ってた。長谷部さんと同期で、橋川さんと3人でよく一緒にいるのに。長谷部さんはあんなふうに見られてること、気づいてるのかな。
 長谷部さんの顔が浮かんだ。疲れた顔、笑顔、苦笑してる顔、驚いた顔。表情が豊かな分、見る人によっては、単純な性格に見えるかもしれない。確かにとてもストレートな人だけど、鈍感なわけじゃないと思う。多分、橋川さんたちのことも薄々気がついてる。
 溜息が出た。
 もし気がついていても、橋川さんは直属の先輩だから、逆らえない。テレビドラマでよく見るような、女同士のいじめや嫌がらせや派閥争いが、私の会社でも時々ある。でも、本当は、男性の方が上下関係が厳しかったり、出世がらみや単なる感情で理不尽なことや陰湿なことをしたりする。長く勤めてると、そんな醜い場面を見聞きすることは増えていく。
 今回の長谷部さんのことも、橋川さんにとっては、そんなありふれたことなのかもしれない。多分、ゲームのようなもの。いかにも男に縁がなさそうなお局様の私をだしに、後輩をからかうための意地悪な遊び。私はただのゲームの駒。悲しいけど、多分、外れてない。
 コーヒーはすっかり温くなっていた。カップを洗いながら、長谷部さんに申し込まれた時のことを思い出した。
 とても緊張してる顔をしてた。先輩に命令されてたんだから、当たり前よね。五つも年上の女とつきあうなんて、想像したこともなかったんじゃないかな。可愛い明るい女の子が隣にいるのが似合う人だもの。例えば、新島さんみたいな人が。
 橋川さんたちは、私が断らないし、すぐそういう関係になると思ってたみたいだった。そんなに男性に飢えてるみたいに私は見えたのかな。そういうレッテルが貼られてると思うと、空しい。
 ふと、何か変な感じがした。カップを戸棚にしまおうとした手を止めた。
 あの時、長谷部さんは私が返事をしたら、ほっとしてるみたいだった。でも、キスもそれ以上もだいぶ経ってから。
 橋川さんと鳥羽さんは、私が断らないと思ってたから、ゲームは簡単に始められる、最後まですぐに成功すると思ってた。だから、あの二人がもし自分でしてたら、緊張することも、ほっとすることもなく、そのあとのことも手早く進めていたはず。
 でも、長谷部さんはそうじゃなかった。
 ほっとしていたのが、命令されていたからという理由だけじゃなかったとしたら? それを成功させる自信がなかったからだとしたら? 
 長谷部さんは、私が断ると思ってたのかもしれない。それでゲームは始まらなくて、橋川さんに怒られてしまうと。だから、私の答えにほっとした顔を見せた。
 でも、橋川さんたちみたいに割り切れなかった。そして、自分の意思を無視して始められたゲームの駒にすぎない私、対象外だった私に、好意をもってしまった。橋川さんたちへの立場が悪くなるはずなのに、交際を続けると言って、今も私のことを心配してる。
 愕然とした。
 こんなことって……。長谷部さんの生活と心を弄ぶ、この悪趣味なゲームを始める最後のボタンを押したのは……私。 


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