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オルゴールの夜

14 ゆりかごの歌


 床に落ちているバッグの中からくぐもった「ゆりかごの歌」が聞こえた。長谷部さんからの電話。いつもなら、帰ったら、充電器に置いてすぐとれるようにしておくのに、そんなことすらする気力がなかった。
 あのあと、できるだけいつもと変わらないように振る舞いながら、なんとか仕事をこなし、長谷部さんが帰ってこないうちにと逃げるように会社を出た。顔を見たら何を言ってしまうか、怖かった。
 部屋に入ったとたん、膝が崩れた。手が震え、バッグが落ちた。胸を締め付けるような痛みによろけながら、ベッドに倒れ込む。
 こみあげてきたもの。怒り、悲しみ、苦しみ、なんだかわからないもの。噴き上げてくる激しい感情に身を任せた。ベッドカバーに涙が染みていく。喉が痛い。自分の声じゃないような声。息が苦しい。子供の頃のような、ただ泣くことでしか表せない、吐き出せない気持ち。
 小野寺さんや先輩と別れた時にも悲しかった。辛くて、苦しかったのに、それとは違う何かが私の中で泣いている。叫んで、暴れている。
 また、「ゆりかごの歌」が聞こえた。
「は、せべ……さ」
 あの笑顔は嘘だったの? 全部偽物だったの? 優しさも、抱きしめて嬉しそうに言ってくれた言葉も、情熱も。
 オルゴール音が止まってしばらくしてから、別のバージョンの「ゆりかごの歌」が流れた。長谷部さんからのメール。昨日までは、ううん、今日の昼までは、この曲を聞いただけで温かい気持ちになれたのに。
 あんなこと、聞きたくなかった。知りたくなかった。たとえ、それが本当のことでも。まして、本人からでもなく、あんな言い方で。
 どれくらい経ったのか。何度か鳴ったオルゴールの音も止んでいた。やっといくらか収まった涙を拭き、しゃくりあげながら、体を起こした。目も喉も体も痛かった。熱をもってるみたいに、ふらふらする。シャワーを浴びて寝てしまおう。疲れ果てていた。
 風呂場に行こうとしてよろけた時、バッグが足に当たり、携帯電話が滑り出た。携帯ストラップのキャラクターが笑いかけてくる。思わず手にとって携帯電話を開くと、メールのアイコンがある。迷ったあげく、メールを開いた。
『紫子、どうしたの? お風呂かな。またメールするね』
『今日、会えなくて残念。なんとか残業をやっつけて週末は絶対あけるからね。じゃないと俺が紫子不足でだめになるから。明日は朝会えるね』
『大丈夫? もしかして具合悪い? 寝てたのを起こしちゃったかな。今、帰るところだから、行こうか?』
 最後の着信は10分前。ゆっくり返事を打って、送信した。
『疲れがたまったみたいです。もう寝ます。ごめんなさい。お休みなさい』
 時計は10時を過ぎてるのに、返事をしなければ多分、長谷部さんは来てしまう。私を心配して。涙がこぼれた。これが嘘? これが。こんなメールをくれて、仕事でくたくたになってるはずなのに、それでも心配で来ようとしている。返信が来なくて、不安になっている顔まで想像できてしまう。これも嘘だっていうの? 命令されたからしてることだっていうの?
 携帯を握りしめたまま、つっぷして泣いた。
 知ってる。もう、私は知ってる。これが嘘じゃないことを。あの人の想いも、眼差しも、このメールから伝わる気持ちも、本当。
 だから、涙が止まらなかった。私にできるのは泣くことだけだった。


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