back  home  novel index  next


オルゴールの夜

12 恋する気持ち


 会社に行くのにこんなに緊張したのはいつ以来だろう。週明けの月曜日の朝、鏡の中の私の顔は強ばっていた。
 結局、週末ずっと一緒だった。土曜日に長谷部さんは一度、家に帰ったけど、すぐにまた戻ってきて、日曜日の夜かなり遅くに名残惜しそうな顔で帰っていった。抱き合ってキスして、話をして。
「本当はもっと前からこうしたかったんだ。ずっと紫子と一緒にいたかった」
 嬉しそうな顔で、まるで私が消えていなくなるみたいに、何度も私を抱きしめて言った。表情の豊かな人だとは思ってたけど、囁く言葉もストレートで、誰にも言われたことがないくらい甘くて、恥ずかしい。まるで私が私じゃないみたいで。
 そんな時間を過ごしてしまってから会社で前のように普通に接することができるのか、不安になる。先輩とつきあった時もこうだったのか、記憶はうっすらとして頼りない。そもそも、長谷部さんみたいな人ではなかったし、秘密にしなくてはいけないと無言の圧力のようなものがあったし。
 電車に揺られて会社に向かいながら、少しずついつものモードに切り替えていく。顔を合わせてしまったら素に戻ってしまうかもしれないけど、できれば、周りの人には知られたくなかった。どうしても怖さが先立ってしまう。
 社内恋愛の難しさは今まで何人も見てきた。良くいっても、悪くいっても、噂になる。中には、中傷めいた噂で退社した人もいた。
 私と長谷部さんがつきあってることが知られたら、私が五つも年上だから、長谷部さんが悪く言われてしまうかもしれない。変な憶測や中傷をされる怖さ。交際を始めてしばらく経っているのに、あらためてそんなことを考える。それはきっと幸せに気づいてしまったから。
 会社に着くと、やっぱり長谷部さんはまだ来てなかった。少しだけほっとしてる自分が申し訳なかった。
 その日、長谷部さんと何回か目が合ったけど、気持ちを隠しきれそうになくて、つい目を反らしてしまった。それは普段の私の行動ではなかったから、しない方がよかったのに。
 夜、長谷部さんから電話がかかってきた。
「俺、何か紫子が怒るようなこと、したかな。目、反らしたよね、今日」
「あ、あの……なんでもないんです」
「なんでもなくないよ。だって、今までそんなこと、なかったのに。もしかして、昨日のこと、後悔してる……のかって」
 声が小さくなっていく。胸が詰まった。今、隣にいられたらいいのに。
「ごめんなさい。あの……恥ずかしくて……それで」
「恥ずかしい? そうなんだ……じゃあ、別に嫌なわけじゃないんだよね? よかった」
「はい。ごめんなさい、心配させて。明日からは普通にしますから、長谷部さん、心配しないで下さいね」
「……普通かあ」
 少し、間があった。
「紫子、あのさ……会社では無理かもしれないけど、二人だけの時はもっと普通に話していいんだよ。あの、お姉さんと電話した時みたいに。丁寧にしなくても全然、気にしないし、どっちかっていうと、そっちの方が嬉しい。第一、俺、こんな話し方してるし、ね」
 最後は笑いながらそう言った長谷部さんの声を聞きながら、どきっとした。普通に、かおちゃんと話す時みたいに話す。少しハードルが高いかもしれない。
「えっと、できたら……してみます」
「うん。あと、和真って呼ぶのもね。ね、紫子。楽しみにしてる」
 すごく楽しそうな声が聞こえる。顔が火照って、動悸がする。電話を切った後もそれは続いて、溜息をついた。携帯ストラップのキャラクターの笑顔が喜んでくれてるみたいに見えた。


back  home  novel index  next




Copyright(c) 2008-2018 SUZUYA all rights reserved.