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オルゴールの夜

11 二人の夜


「長谷部さん?」
 声が上ずった。答えはなかった。そのかわり、正面に抱き直されて、考える間もないまま、唇が重なった。その時やっと我にかえったけど、長谷部さんの手が私の頭を優しく強く支えていた。
 家まで帰る時に繋いでくれた時の手の温もりが、今は髪に触れている。体を抱きしめている。ふっと力が抜けた。
 こういうことだったんだ。やっとわかった。私はこの人と、長谷部さんと一緒にいるのが落ち着けて、どきどきして、優しい気持ちになれて、嬉しかった。本当はもっと前からこうして、触れたかった。こうしているのがこんなに自然に感じるくらい、好きになってる。今なら、はっきり答えられる。
 私が体を預けると、耳元で声がした。
「篠田さん……好きだ……紫子さん……」
 紫子さん。私をこう呼ぶ人は世界のどこにもいない。息を飲んだ。強く抱きしめられながら、胸の奥が震える。初めて、長谷部さんから、好きと言われた。
「紫子さんは、俺のこと……」
 長谷部さんの声がたどたどしい。吐息がかかる。こんなに緊張するくらい、私のことを思ってくれてること、そして、私はこんなにも長谷部さんに思いを伝えてなかったんだってことを思い知る。長谷部さんの肩に額をあててもたれた。ごめんなさい。自分でも今、ちゃんとわかったから。私も伝えたい。
「私も……好き」
 やっと、口にした。声が出なかった。でも、長谷部さんだけに聞こえればいいから。
 息をつく間もなく、ぎゅっと抱きしめられて、そばのベッドに押し倒された。告白したとはいっても、今そうなるという覚悟はしてなくて、体が強ばった。そんな私に長谷部さんは何度もキスして、息苦しいくらいに貪られて、頭の中がぼうっとしていく。その間にブラウスのボタンは外され、唇が頬や額や首筋を這って、熱い吐息と一緒に「紫子さん」という声が何度も聞こえた。
 先輩と別れて以来、男性と関係をもったことがないから、少し怖くて、恥ずかしい。でも、それを取り払うように長谷部さんは服を脱がせ、素肌を熱く撫でまわして、キスを落としていく。時々、痛いくらい吸って痕を残しながら、私の眠っていた感覚と熱を呼び覚ましていく。吐息が漏れて、恥ずかしいのに、声まで出てしまう。
 いつのまにか、私は何も身につけていなかった。長谷部さんの指に触れられた時になって、自分が濡れてしまっていることに気づいた。そして、私自身が長谷部さんと一つになりたいと思ってしまってることにも。
 荒い息をしながら、長谷部さんが間近で見下ろして、真剣な表情で言った。
「いい……よね? 紫子さん……苦しくなったら、言って……無理しないで」
 焦ってるみたいなのに、それでも体を気遣ってくれる言葉が嬉しかった。
 気持ちに素直で、喜怒哀楽がはっきりしてて、仕事に一所懸命で……章ちゃんに似てるって、弟みたいな一方的な親近感をもってた人。急に交際を申し込んできて、生活に入り込んで、それを当たり前にしてしまった人。そして、こんなに私を欲しがってる人。胸がいっぱいになって、顔が自然にほころぶ。
「はい……長谷部さん」
 言った瞬間、長谷部さんの顔が変わった。
「違うっ、和真だよ。名前で呼んでくれよ。さんなんていらないっ。俺も、紫子って呼ぶから」
 まるで泣きそうな顔で、見つめてくる。和真。か、ず、ま。男性を呼び捨てにしたことはなかった。弟の章ちゃんも、ずっと章ちゃん。まして、小野寺さんも先輩も年上で、呼び捨てにすることは考えたこともなかった。
 でも、長谷部さんにとっては、そうすることが彼女らしいことなのかもしれない。だったら、叶えてあげたい。長谷部さんの顔を見ながら、何度も心の中で、和真、和真と繰り返してから、勇気を出して呼んだ。声が少し掠れた。
「和真」
 ぱあっと長谷部さんの顔が紅潮して嬉しそうになった。可愛いと思った。そして、私の中に長谷部さんが入ってきた。最初、久しぶりのせいか、苦しかったけど、長谷部さんの愛撫と動きに体が解されて、快感が湧いてくる。私の名前を呼びながら、感情を丸ごとぶつけてくるような行為。見つめる目の中にある熱と優しさが私をつかまえて離さない。
 受け止めるのだけで精一杯だった。何度も求められて、こらえられずに声をあげると、もっと聞きたいとせがまれて、私は何度も高みに引き上げられた。愛しいその人の名前。和真と呼ぶたび、その人は嬉しそうに私を抱いて、告げる。
「紫子、好きだ。愛してる、紫子」
 何度も私に言い聞かせながら、達した。そして、激しい行為の末に疲れ切って、抱き合ったまま眠った。
 その日初めて、長谷部さんが……和真が私の家に泊まった。


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