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やっぱり俺は馬鹿なんだと思う。

4 始まり 

 篠田さんに申し込んだ夜、部屋で携帯を見ながら、迷っていた。やっぱり、俺、やばいことしてる。先輩の命令だからって、こんなこと、普通しないよな。謝ろうかな。でも、なんって言うんだよ。言えるか、こんなこと。溜息をついた瞬間、携帯が鳴った。焦った。篠田さんからのメールだった。
『こんばんは。これからよろしくお願いします。お休みなさい』
 絵文字のないシンプルなメールだった。返事をくれたときの優しい笑顔を思い出した。結局、俺は返信で挨拶しか書けなかった。
 そして、俺と篠田さんの交際が始まった。と言っても、会社では前と変わらない。篠田さんはあいかわらず静かに淡々と仕事をし、俺はばたばたしながら、橋川さんにこき使われた。誰も気がつかない。あまりにも変わらなくて変な気がした。
 最初に変わったのは、メールのやりとりをするようになったことだ。翌日、出先で昼を食べながら、篠田さんのことを考えた。それまで特に意識したことがなかったはずなのに、笑顔を思い出すと、本当の事を言う勇気が出なかった。とにかく始めてしまった以上、進むしかないんだ、まず、あまり硬くないメールをしてみようと思った。
『今、お昼。外、暑いです。店から出たくないです』
 なんということもない文面だったけど、それが始まりだった。前の彼女たちはうるさいくらいにメールや電話が好きで、最後はそれがうっとうしくなって、よく喧嘩になった。「ちゃんと返事をくれないのは他の女がいるからだ」と浮気を疑って一方的に責めてくることさえあった。つきあいきれなかった。就職がきっかけで別れた直後には、当分、彼女は要らないと思ったくらいだ。
 それなのに、篠田さんとの間では、先にメールを送るのはいつも俺だった。間もなく電話で話すようになっても、篠田さんは自分からはめったにかけてこない。社内で前より話すようになったわけでもない。遠慮してたのかもしれない。目だたないようにするのが社内恋愛のマナーなのかなと最初は思ったけど、橋川さんや見友さんは、会社の近くで待ち合わせしたり、彼女と二人だけで話したりしてるから、そういうわけでもないらしい。確かに、例の件が遂行されたあとは別れることになるんだから、知られない方が俺には都合がいいはずだ。それなのに、俺はその不自然さに不満を感じるようになった。
 つきあい始めたら、篠田さんは暗いんじゃなくて、話を聞いているのが好きなんだということ、笑い声が可愛いことに気づいた。好きなものが意外に被ってることがわかって、もっと知りたくなった。仕事で失敗してつい愚痴を言ってしまった時も相槌を打ってくれる声が耳に優しかった。篠田さんにどんどん惹かれていくのが自分でもわかった。社内で先輩に話すような口調だったのもすぐにとれた。ただ、それでも、あのことが頭の片隅にひっかかっていた。


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